2012年03月31日

チェ・キホ伽耶大学客員教授 事実を話したいと思います



"私は88才です。 もう事実を話したいと思います。"



朝鮮末期の私は1923年の生まれです。

もう韓国のためでも、日本のためでもなく「事実」を話したいと思います。
それは相当な覚悟が必要です。 生命の危険も覚悟しています。
しかし、これは私の使命であると信じています。

私はソウルに住んでいました。
そして、時々、平壌や東京に行きました。
その当時の韓国人は「日本人以上の日本人」でした。

劇場に行けば映画の前に、戦争のニュースがありました。
例えばニューギニアで日本が勝った映像が流れ、拍手と万歳の暴風雨でした。
私は映画が好きで、東京にも行きましたが、日本人は冷静でした。
しかし、韓国人は全員が狂ったように喜んでいました。 それが普通の姿でした。
なので「親日派」という言葉は使用できません。

その「使用できない言葉」を使って、先祖まで批判しています。
「親切でやさしい日本人」という印象を、必死に消すために「反日」を指導者はそそのかしてきました。

韓国と日本の歴史教育を比較すると、日本が10%の歪曲といえば、韓国は90%が歪曲です。
朝鮮末期の正常ではないで政治腐敗を教えず、日本が関与しなければ独立ができたことのように使われています。

韓日合邦によって「教育」 「医療」 「工業」 「社会インフラ」が整備されました。
近代国家の基礎が出来たことは明らかな事実です。
その実績を「日本帝国主義の侵略政策の産物だ!」と糾弾する韓国にはあきれます。
より一層「日帝が民族産業を停滞させた!」という主張にはコメントする気持ちもなくなります。


民族産業を殺したのは、朝鮮王朝です。
近代化を主張する先進的な思想家は反逆者とし、親族までも処刑されました。
韓国人は「日帝の虐待! 性奴隷!」と叫んでいますが、私は信じることができません。
歴史の真実を知っているためです。

朝鮮語でキウン「地獄」でした。 それは大韓帝国時代になっても同じでした。
1904年、日本は朝鮮の惨状を救うために、財政支援を決断します。

例えば1907年度、朝鮮王朝の歳入は748万円だったが、歳出は3000万円以上でした。
その差額は日本が負担していました。

1908年にはより一層増加し、3100万円を支出しています。


現在88才の老人の絶叫です。 どう思われますか?



[チェ・キホ伽耶大学客員教授] Category:【転載記事】

posted by xxx at 04:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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